新たな旅の始まり

2019年の夏が終わる頃、生まれ育った関東を離れ大阪へ移住した。今思えばその予兆は長男が産まれるときから始まっていた。結婚してからもしばらくは東京と大阪を行ったり来たりの生活が続き、湘南に居を構え長男が産まれてからもそれは変わらなかった。当時は海外出張が多くその度に大阪から義母に来てもらうか妻子に大阪へ帰省してもらうという形をとっていた。初めての子育てで身内や友人が近くにいない不安と孤独。関東と関西の人との距離感の違い。色々なことが積み重なり妻が疲弊していたタイミングで次男を妊娠したことを知る。湘南の街、新しい家、海に近い環境、東京での仕事。良いこともたくさんあったがこのままでは家庭が崩壊してしまう。できることは一つ。大阪へ移住し妻の実家の近くに住むこと。

覚悟は決まった。あとは大きな二つの課題をどう克服するか。一つは自宅の売却。幸いなことに海の空気を感じながらもハザードマップから外れていること。JR、小田急、江ノ電の3路線が使える立地で人気のある学区。南向きで視界が広く内装も湘南らしい木の温もりがするシンプルな空間。売りに出そうと決めてからすぐに内見希望があり、あっけないほど即売れた。家を購入するときに漠然と思っていた「子どもが大学を出るくらいまではここに住むだろう」という淡い予測は5年も持たずに砕け散った。

もう一つの課題は職場の異動を認めてもらうこと。僕のチームは全員東京。社内にテレビ会議のシステムが導入されていたとはいえ仕事内容は東京が中心。当時は海外とのやり取りでSkypeを使用していたが、Zoomはなくリモートワークという意識は誰もが低かった。何回か続いた交渉の末に同僚や上司、社長から理解を得ることが出来た。そして2019年の夏が終わる頃、大阪へ移住した。しかしその翌週には東京への出張があったりと実感が伴わなかったが、45歳の誕生日を迎える11月にはすでに重苦しい空気が漂い始めていた。

大阪へ異動したことで給料は大幅減。次男が誕生し一人で四人家族を支える重圧。参加できない打ち合わせが多くなり歯がゆさと同時に周りからの不満の圧が高まってくる。慣れない大阪での生活。出張&仕事と子育ての板挟み。そんな四面楚歌の状況を皮肉なことに新型コロナウィルスが変えた。2020年の春を迎える頃には在宅勤務に切り替わり社内外の打ち合わせもリモートが定着。全員が同じ条件になったことで東京も大阪も関係なくなった。その後すぐに在宅勤務が解除されたり国内出張が今まで通りになったが、ここから風向きが大きく変わり始めた。

2020年の初夏。この時点では依然新型コロナウィルスは猛威をふるっていたが、日常生活は落ち着きを取り戻しつつあった。そのような状況の中、この年に一度だけツイートしたのがこちら。

ようやくネタにできるほどに持ち直し、大阪を拠点とした家庭や仕事のあり方に前向きに取り組めるようになった。都内に通勤していた時とは比較にならない通勤時間の短縮、そして心身にかかる負担の軽減。朝も夜も子どもと過ごす時間が大幅に増えたことで家族が安定した。週末には京都や奈良、神戸などへ気軽に行ける距離という環境も大阪へ来て初めて知ることができた。仕事の面でも新しい企画が京都から始まったりと大阪にいることで広がりを見せている。大阪に住む人生はまったく想像もしていなかったが、覚悟を決めたことで新たな旅が始まった。

最初にブログを書こうと思ったとき、一番目に書く内容は「30歳でのロンドン留学」か「45歳での大阪移住」どちらかにしようと決めていた。自分の人生を変えた二つの大きな決断。年齢を重ねてからの変化はさらなる勇気がいるが、思い切って行動すると新しい世界が見えてくる。何があるか分からないから人生は面白い。

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